人には治らない癖があって、
わたしにとっては、鼻歌がそう。
ご機嫌で歌ってるイメージが強いけど、
それ以外にもいろいろ。
急ぐから、すごく集中してリズムよく作業したいときとか、
緊張するから、リラックスしたいときとか、
バックミュージックを流すように、つい歌ってしまうらしい。
本人は気づいてないので、
「それ、なに歌ってるの?」と聞かれて、
「えっ?わたしなにか歌ってた?」という、
へんてこな会話をすることになる。
いつからそうだったのかな?
高校生の、たしか卒業のメッセージで友だちが、
「みこと会って、鼻歌が歌えるようになって、
人生のさみしさが減りました」と、書いてくれた。
その頃はもう、かなり歌っていたんだろう。
そういえば子どもの頃、
布団に入って、寝付くまでがさみしいときに、
自分で子守歌を歌っていた記憶が、なんとなくある。
さらには、
高校生の頃、試験中にもうギブアップして、
ヒマだから頭の中で曲を流していたら、
ノリノリになりすぎて、
手を叩いてしまったこともあったなー。
当然のことながら、みんなが振り返った。
(邪魔してごめん!)
シンプルな暮らしをしている土地へ行くと、
音楽は、ごはんのような存在に感じる。
アジアの子どもたちは「歌って!」「踊って!」とよく言うし、
自分たちも、歌と踊りを披露してくれる。
フランスの雪深い村にいたときは、
楽器がうまい人が多くて。
自己流だから、それぞれ個性的。
雪が降り続けると、車も出せなくなって、
その小さな世界に、閉じ込められたようになる。
そんなときには、音楽と食べものを、
全身が喜び、沁み入る感じだった。
ここ数年は、
お祈りと瞑想が、わたしの世界の中心だったから、
静けさを求めて、無音の世界にいることが多くて。
自分の中に静けさが生まれたから、
またもとの世界に戻ってきたような…。
そうして今また、音楽の楽しさに目覚めると、
空っぽのお腹に食べ物が入ったように、
音の豊かさが、こころと体によく響く。
わたしにとってのはなうたは、
鼻歌、というより、花歌。
この世からいろんなものがなくなったとしても、
音を楽しむことは、あり続けるだろうなー。
そんな気がする。
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