たしかなもの


ここ数年の間に、

人生を変えるできごとがたくさんあったけれど。
そのひとつが、noco project。

そのプロジェクトの前後では、
わたしの常識はまるで変わってしまった。
それまでうっすら感じていたことを、
目で見て、肌で触れ、
その世界の中で体を動かし、
血肉にした時間だった。

nocoはワルリー語で、
「just enough」の意。
経済ベースの発展を続ける世の流れに、
「もう充分じゃない?」と問い直すプロジェクト。

ワルリー族は、
稲作と伝統絵画を文化とする先住民族で、
彼らの村でも、
伝統が失われつつあった
(今、世界中で起きていることだよねー)。

アートフェスティバルをきっかけに出会った、
村人と日本人が、
ともに村の魅力を発見し、
学び合う場が自然と生まれた。

自然な流れでそうなったのは、
ワルリーの村と村人が、
魅力的で、どこか、
親しみを感じる存在だったからだと思う。
言葉が通じなくても、安心感がある人たち。

川の右にアートフェスをやった学校がある。

壁画の描かれた教室。


その村でわたしたちは、

早朝から牛フンを集めて回って、

土と木と牛フンのお家を、
村の大工さんとおばちゃんに教わりながら、

いっしょに建てたりした。


作業は地道!
まずは建物を建てる地面の草むしりから〜。

参加者全員が「マジで?」と思った瞬間だと思う。


さらに、カゴに土を入れてひたすら運ぶ。
リピートするうち、
時間感覚が歪みはじめるよ〜。

ローカルスタイルの練習。
ぐるぐる巻きした布をクッションにする。
これ大事!痛くなくなる!

骨組みができてからは、早い。

木はもとの形が残ったまま。


完成〜!

一晩泊まってみたら、家の中だけど、

外の空気の中で目覚めたような、爽やかさだった。


こちらはカフェスタンド。

ロケットストーブでチャイを作って売るのだけど、

いつものカマドと火のクセがぜんぜん違って、戸惑った~。



さらに、

村の学校でアートフェスティバルを開催する、

Wall Art Projectも連続して行われた。

その時はごはん隊長だったので、
どんどん増えていくプロジェクトメンバーに、
変化に富んだ環境でも、
元気に過ごしてもらえるよう、
一心にがんばったなー!

朝、薪の火を起こし、
朝ごはんとチャイを作り、
掃除して、買い物して、
またまた火を起こして昼ごはんを作り、
洗い物して、
またまた火を起こして、
体を洗う湯を大量に沸かしながら、
夕飯を作る。

合間に手でお洗濯。

(主婦だな!)


カマドはとってもシンプル。
レンガを積んだだけの造り。

湯を沸かすのは、これ。
沸いた湯をバケツに入れ、水で割り、
ぬるま湯にし、バケツ一杯の湯で全身を洗う。


ちなみに買い物は、
英語も英数字も通じないので、
村で使われている言葉と数字をメモして、それを見ながら、
なんとな〜くノリと笑いでこなす。

八百屋のお姉さんに、
「もっときれいなストールしなさい」
ってアドバイスされて。
(そのとき首にかけていたのは、
現地のタオルだった…)
次回変えていったら、
「そうそう!」と褒められたり。

さらにこのノリで、
オープニングパーティーの料理まで作ってしまった。
わたしは向上心が欠けているので、
うっかり引き受けちゃう癖により、
オートマティックに成長するようになっているもよう。

そのプロジェクトのすべてを終えて、
ススのついた鍋底を洗っていたら、
涙がこぼれてきた。
その鍋同様に、
気づいたら毎日ススだらけだった自分。
「やり切ったな〜!」って気持ちが、
身体中に満ちて、溢れ出た。

お互い、よくがんばったねーと、

想いを込めて、鍋をきれいにしたのでした。

(ちなみにすすけた鍋底は、
薪の燃えた灰を使うときれいに落ちる。循環そのもの!)

懐かしのごはんミーティング風景。

ベチキュー(パチンコ)づくり。

フェスを終えて、みんなで海へ!


ワルリーの村の魅力はありすぎて、
語り切れない。
プロジェクトがはじまる前に、
偶然にも一ヶ月、
ひとりでその村に滞在するご縁に恵まれた。

その貴重さとありがたみに、

後々気づいたのでした。


プロジェクト中はなにかと忙しいけれど、
普段の村の姿は、
のんびりで、おおらかで、
どこまでも自然体。
それまでの自分の暮らしでは満たされなかったものが、
どんどん満ちていくようで。
欲が消えてなくなっていくのを感じた。

ホームステイ先のお家の庭にある、
マンゴーの大きな木。

手前のチビちゃんが、
食べていたおやつを分けてくれた。
鳥のササミみたいだな〜と思って、
「これ何?」と大人に聞いたら、
実はコウモリの肉だった!


村の生活で学んだことは…

◎火で生活すること
まずは火を起こし、火を扱えないと、

何もはじめられない。

ジャングルの森で切ってきた木を、

頭に乗せて運んできて、

薪割りして、乾かして、使う。


◎自然と自分とのつながり
水は、川の水、地下水、井戸の水。
生活のもとになるものは身近にあり、

それらが暮らしと、

命に直結してるのがわかる。


◎大きな存在を信じ、敬い、感謝すること
朝・夕、神棚にお香を焚き、祈る。
家を建てるとき、何か新しいことをはじめるときも、

神さまにご挨拶する。

米の収穫後も、感謝のお祝いをしてから、

家の中に米を入れたり。

日常のそこここに、感謝の祈りがあり、

神さまは特別なものと言うより、

空気のように当たり前にあるけれど、

とても大切な、欠かせないものって感じ。


わたしは日本人。
日本に生まれて、
日本で暮らしている。
日本が大好き。
でもなぜだか、
当たり前のことに疑問を感じることがあって。
その「自分の中でしっくりこない感じ」と、
うまく付き合えるようになったのは、
ここ数年のできごとのおかげだなー。

きっと日本の村でも同じようなことが学べると思う。
でもなぜかわたしの場合はインドだった。
(裸足が好きだから、かも?)

普段、目には見えないけれど。

わたしの中には、
ワルリーの村で暮らしていたときの感覚が、
息づいている。

いつの間にかあった価値観が、
揺るぎない実感に変わった。

そういうものたちが、

わたしにとっての、
たしかなもの、って気がする。

さらに、

伝統絵画のワルリー画を、

ちょっぴり見せちゃう~。

もともとは壁画だけど、

これはお皿に描かれたもの。

ジャングルの木々。

左下に描かれた動物はトラ。

動物や人の描き方に、

ユーモアがあってステキなんだよねー。


羽ばたく鳥たち。

筆じゃなくて、竹串みたいなので描かれる、

点や線の細かい描写が美しいのです。


魚取り網。

生活や文化が絵の題材になっている。

神さまもよく登場する。


キャンバスに描かれた、アリの巣。
商業的にいろんなものに描かれ、
販売されるようになったことで、
民族内だけの文化だったものが、
広く世界の人々に知られるようになる。


時代とともに、
もとの姿と変わってしまう。

その変化を見かけるたび、

切ないようで、
必要な変化で、
それがもっと大きな流れを生み、
命を繋ぐんだろうな〜、
なんて思う。

変化は、
さみしいようで、
あたらしい命を生む。
それは、
わたし自身の人生も同じかも。

0コメント

  • 1000 / 1000