雪の舞い散る中、
ひっそりとした公園を歩く。
雪深い村にいたときは、
雪降る森を歩くのが大好きだった。
今でもこの、静かで、
すべてが止まってしまったような感じが好き。
木々の間を、ザクリザクリという音とともに歩く。
わたしは今歩いてる、と、鮮やかに感じる。
遠くの方で、
雪に興じて喜びの雄叫びをあげる子どもたち。
猫がぴょんぴょんと跳ねるようにやって来て、
なにか探している。
食べるものかな?
いつもののんびりムードはどこへやら、
野性動物のような素早さで立ち去っていった。
自分の目の前に見えている世界が、
ひとつじゃないと知るとき。
そこに、震えるような喜びを感じる。
耳の聞こえない人が、
「太陽の光ってどんな音がするの?」
と聞いていたのを思い出す。
この降っている雪に、
音を感じる人もいるかもしれない。
この間立ち読みして、
つい買ってしまった本。
「翻訳できない、世界の言葉」。
他の国の言葉ではニュアンスをうまく表わせない、
世界の言葉たちが載っている。
説明し切れないから、
ひとつの言葉にして、
そこに、
たくさんのものを込める。
おもしろい!宝箱のよう。
例えばボサノバで出てくる、
ボルトガル語の「SAUDADE サウダージ」。
郷愁に似た言葉だけれど、
その文化をもつ人たち特有の想いと感覚が、
そこには込められている。
「UBUNTU ウブントュ」は、
アフリカのズールー語。
本の中で、こんな風に説明されている。
“本来は、「あなたの中に私は私の価値を見出し、
私の中にあなたはあなたの価値を見出す」という意味で、
「人のやさしさ」を表す。”
自分の光を、
映し出してくれる人がいるから、
そこにはじめて、
あるのかないのかわからない、
「わたし」が浮かんでくる。
「言葉のない世界に生きた男」という本には、
耳が聞こえず、
聾というものも知られてない土地で、
言葉という存在を知らずに大人になった青年が出てくる。
言葉というものがあるということを知ったときの、
彼の衝撃。
それを使って、人と人は、
お互いにやり取りをしていたのだ、
という途方もない発見。
わたしの手元に、
当たり前にある、この、言葉。
呼吸と同じように、
ありふれ過ぎて、
でもほんとは、
ものすごいものである。
そのことに、
ときどきハッとする。
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