無観客試合を終えた選手が、
「自分のプレーに集中できて、自分にとってはこれもよかった」
という感想を言っていて。
それを聞いて、ふと、オリンピックも、
「本来の意味を取り戻す時なのかも?」と思って、
その起源を調べてみました。
伝染病の蔓延に困った王が、
神殿で神様にお伺いを立てたら、
「戦を止めて、競技会を復活させなさい」というお告げがあり、
休戦して競技会を開催したのがはじまり、という説があって…。
(古すぎて史実の証拠となるものが残っていないのですが)
それを読んだら、「ドキッ!」としてしまいました。
そうか~、ここでも伝染病かー!と。
そして今、世間では、
伝染病が広まっているというのに。
わたし自身の体感では、急速に、
自由の空気が広まっているのを感じています。
パカーンと開けた青空に羽を広げて羽ばたくような、
そんな感じが自分の中に広がってきて、
瞑想をしてなくても、深い瞑想中みたいな感じです。
そんな中、ひとつ思い出したのが、スリランカへの旅でした。
たぶんこの時感じたことが、今の状況に必要なことだな…
と思ったので、書いてみました。
大学一年生の時、
学校の掲示板に貼ってあったポスターを見て、
インドの横にちょこんとあるちいさな島国を見たときに、
なぜか、「ここに行ってみたいな…」と思って参加したのが、
スリランカのサルボダヤ・シュラマダーナ運動を学ぶ、スタディツアーでした。
そしてこれが、わたしにとって、はじめての海外旅行。
うまく説明できないので、wikiから引用しちゃうと(笑)、
サルボダヤ運動とは…
世界から飢餓・病気・無知・争いをなくすことをめざす、
アジア地域最大級のNGO団体を基礎とした社会活動…だそうです。
壮大な活動で、今をもっても、ちゃんと理解し切れてないのですが、
説明を改めて読むたびに、ステキだな~と感じます。
http://www.zenseikyo.or.jp/manabou/bukkyousya/2004/12/02.html
「自分に今、差し出せるものは何か」というのは、
わたしの中に、けっこういつもある考えなのだけど。
創始者のアリヤラトネさんの、
「人々が自らの周囲にある課題や、自分の持つ能力に「目覚め」、
その解決のために活動し、自立することで、
不均衡な社会を変革していくことこそがサルボダヤの目的」という、
単なる物質的援助を越えた、本当の解決を求める姿勢に、
当時も共感しました。
そのスタディツアーの中で、
電気も水道もない村にホームステイして、
村の人たちと、人力だけで、幼稚園の園庭を作る、という体験をしました。
家には扉がなくて、
家族5人のちいさなお家に、
2つだけあるベッドのひとつを、わたしに貸してくれて。
でも夜は寒すぎてあまり眠れず、
「人は寒すぎると眠れないのだ!」と知りました(笑)。
あとは、村の人たちが、
効率なんて概念を知らないかのように、楽しみながら働く姿を見て、
日本の「労働」のイメージと、ぜんぜん違うことに驚きました。
ゲラゲラ笑って、進んでるんだか、進んでないんだか…(笑)。
その旅は他にも、
たくさ~~~ん学んだことがあったのですが、
その中でも印象的な出来事が二つあって…。
ひとつは夕暮れ時の山で。
太陽が沈むのを、家族の人たちと眺めていて。
「ラッサナイ!(きれい!)」と感嘆しながら言ったら、
同じように「ラッサナイ!」と笑顔で返してくれて…。
「ああ、今、わたしたちは限りなく同じ気持ちだな…」と感じながら、
いっしょに夕日を眺めていました。
たったそれだけの出来事なのだけれど。
こんなに違う環境で育ってきた、こんなに違うわたしたちが、
きれいなものを見たら、同じように「きれいだな」と感じて。
単語しか知らない言葉でも、
伝え合って、分かち合うことができるんだ!
という感動でした。
もうひとつは、町に滞在していた時、
散歩中にスラムっぽい場所に入ってしまった時のこと。
インドでもよくある、こどもたちの、
くれくれ攻撃(ペンくれ、アメくれとか、笑)にあって。
その時、ほとんどお金は持っていなくて、
ペンを一本持っていたけれど。
たった一本のペンをあげても、
争いが起こるだけだよな~と思っていたら、
「そうだ!」と、閃いて。
こどもの手を取って、その手の平に、
わたしの名前を漢字で書いて、
「マゲ ナマ(わたしの名前)」と、
習いたてのシンハラ語で言いました。
こどもたちはすっごく喜んで、
「ボクも!」「ボクも!」と、みんなに書く羽目に(笑)。
そして、こどもが、わたしの手にも、自分の名前を書いてくれて。
みんなペンをもらうことは、すっかり忘れてしまいました(笑)。
みんなで大喜びでバイバイしながら、わたしの胸には、
なんにも持っていなくても、あげられるものがあって、喜んでもらえるんだ!
という感動が広がっていました。
今、こんな風に世界が変わっていく状況の中で、
わたしができることは限られているから。
その時の気持ちを胸に、日々の変化を見守っていたいな~。
これが今、わたしの感じている、
世界へのエールの気持ちだな、と思いました。
人は、
自分のために生きていると、
幸せを感じることはできなくて…。
自分を大切にしながら、
人のために生きているときに、
幸せを感じるのだと思います。
毎日毎日、
自分はどう生きたいのかを、
問われているようにも感じています。
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